赤ちゃんの名付け

ルールを破ってルールを作る?ルール無視の名付けについて

「熟字訓」とというものがあります。ある特定の漢字の組み合わせでのみ読める読み方で、個別の漢字としての読み方とは異なるものです。

例えば「竹刀(しない)」とか「大和(やまと)」と言った熟語です。このような熟字訓があるからといって、「竹」を「し」とは読みませんし、「刀」を「ない」とも読みません。「大和」についても同様です。

しかし、このような「熟字訓」や当て字として使われているような漢字の、熟字訓としての読みを残したまま、1文字だけを他の漢字と入れ替えて、ありもしない読み方をする名前が増えています。

また、なんとなく響きが近いような読みを当てはめたりする当て字も散見されます。

更には、雰囲気だけで当て字を行うような名前もあります。

1.「大和」は「ヤマ」と「ト」ではない

冒頭でも述べていますが、「大和」の「やまと」という読みは「熟字訓」です。

「大和」という漢字の組み合わせでなければ「やまと」と読むことはできません。

「大和」という2つの漢字で、「やまと」という3つのひらがなを分け合うことはできません。「大」と書いて「ヤ」と読んだり「ヤマ」と読んだりする事は出来ないのです。

漢字には、それぞれ「音読み」と「訓読み」があり、名前においては、「名のり」とか「名前読み」という形で特別な読み方が認められている。というのが実情です。

ですが「熟字訓」の読をぶった切って使用していいなんてルールはどこにもありません。

2.名付けにはルールがある

名付けとは法律上は戸籍に登録する「氏名」を出生届に記載して届け出ることを指し、法律で定められたルールがあります。

しかし「文字数」「読み方」については明確なルールとなっていません。

そのため、「使う文字」がルールの範囲内であればどんな名前でも付けて良いと考える人がいますがそれは違います。

名前が数十文字にもなったり、一見して誰にも読めないし覚えられないような名前では社会生活に支障がありますし、関わる人にも迷惑がかかります。

そういった意味で、ある程度常識の範囲内にするべきであるという、暗黙のルールが存在します。

3.ルールを破ればそれでいいのか?

「ルール」に関する考え方は両極の2つにわけられるでしょう。

  • ルールは守るべき。重んじるべき。行動を変えるならまずルールを変えるべき。
  • 時代に合わせてルールは変わるもの。変えるのは難しいので、まずはルールを破ってしまった方がいい。

現実には、ケースバイケースで案件ごとに落とし所を見つけて行きながらルールと付き合っていくことになるのですが「ルールは守るべきか?」という話をすると2極化してしまうのではないでしょうか?

名付けにおいては、まず「実情」があり、それが緩やかに「ルール」になっていくと考えられます。使用できる漢字も、実情に合わせて変わってきていますし、現在の戸籍のルールも実情をある程度肯定した上で作られているでしょう。

しかし、だからといって、なんでも「時代に合わせたから」という理由でルールを破っていては社会の秩序が保たれなくなってしまいます。

ですので、最低限のところは罰則のある法律で決められています。

一方で、暗黙のルールのというものは、当然罰則もなく、モラルに任せになっている状態です。名前に関して言えば、読み方のルールが崩れてきているように思えてなりません。

例えば「大翔」を「ひろと」と読むのは問題ありません。ですが

「大和」や「陽翔」までも「ひろと」と読み出してしまうと

「ひろと」という読みに対して候補がありすぎる状態になってしまうでしょう。

先ほども述べたように「大和」を「やまと」と読むのは「熟字訓」であって、「和」だけ持ってきて「と」と読ませることはできません。なので、「大和」と書いて「ヒロト」と読むのは、「大」は「ヒロ」と読めますが「和」は「ト」とは読めないということになります。

また「陽翔」は「雰囲気」だけで漢字に読みをあてており、「雰囲気当て字」とでも言いたくなります。

この状態が長く続けば、既成事実として認められ、「和」を「と」、「陽」を「ひろ」と読む名のりが定着するかもしれません。

ですが、誰もが好き勝手にルールを破っていくと、いずれ不便を強いられることになるのは、自分たちです。

まずは、基本的なルールを理解していただいて、なんとなくや、浅い知識でルールを破ることは避け、ルールを破るのであれば、ルールを変えるほどの意気込みと信念をもってやりましょう。

4.情報を見極める力

こういった、ルールを無視した名前というのは、コレまでは珍しいものでした。しかし、最近ではそれが一般化してきている常用があります。

その一つに、人々が正しい情報を見極める力が無いことがあるでしょう。インターネットが普及する前までは、情報源がテレビや新聞や書籍と限られていました。情報の量もそこまで多くなく、基本的には人から人へ教えていくことで成り立っていました。

ですが、インターネットが普及し、誰もが簡単に大量の情報へアクセスできるようになりました。そこには、当然嘘の情報も多くあるのですが、それを見極める能力が欠けた人が多くいるということです。

また、補足をしておくと、本当に「情報を見極められていない」ということも当然ありますが、それとは別に、ネットの情報を自分の都合の良いように歪めて理解してしまうということが実は多いです。

1つの質問をGoogleで調べると、いくつかの異なる答えが出てくる場合があります。本来なら、どれが真実か?と考え自分なりの答えを出す必要があるのですが、自分の欲望に都合のいいように、気に入ったものだけをそれを正しいと思い込む。ということが起きています。

名付けで言えば、読み方は「ひろと」がいい、漢字は「大和」がいい、と考えている人が、ネットでその組み合わせが名付けの例として掲載されていれば、鵜呑みにして名付けてしまう。といった具合です。

ちゃんと調べれば、正しい読み方ではないことはわかるのですが、この人は検索を始めるときにすでに、自分の意見を肯定する情報を見つけることが目的になってしまっています。これでは正しく情報を見極めることなどできません。

ネットの名付けサイトというのは、ユーザーが登録した情報がそのままデータベース化され、候補として表示されるしくみのものが多いです。過去にも現在にも一人も存在しないような名前も多くあるはずです。

運営側は当然、正しい名のりであるかなんて確認していませんし。判断のしようもありません。ただ、こういう「漢字」と「読み」の組み合わせも検討している人がいますよということを紹介しているだけです。

このような状況であれば、それらしい名付け本を造り、デタラメを書いて売り出せば、でたらめな名前が増えてしまうでしょう。

名のりというのは境界線が曖昧で、権威ある辞書でも表記がことなるほどで、素人が良し悪しを判断するのはかなり困難です。

我々が名付けをする場合は、少なくとも、実際に名前で使われている事例を調べたり、根拠を考えておくべきでしょう。

自分で、全く新しいよみを作るというのであれば、最低でも、その他にどんな読みがあるのか?なぜその新しい読みにするのか?ということをきちんと考えるべきです。誰もがなんとなくで新しい読み方を作っていては、言語として成り立ちません。

「名前なんて個人の自由だ」という意見もあるかもしれませんが、「名前」は人間が社会を形成し生活していく上で、お互いを認識したり、識別、管理するための道具でもあります。誰もが好き勝手にしていたら周りが迷惑するでしょう。

周囲の人など関係ないような1人で生活をしているのであれば、それは自由ですが、そうなれば、名前を呼んでくれる人もおらず、名前は不要になります。

5.まとめ

  • 「熟字訓」という特別な読をする熟語がある
  • 「熟字訓」の読みは分解できないし、他の文字では使えない
  • 誰もがルールを破っていては社会が成り立たない
  • 情報を見極める目をもってルールを知る

時代に合わせて、あえてルールを破り新しいルールを作っていく。というのはもっともらしい話ですが、それをやっていいのは、今のルールも十分に理解した上で「ルールを変えなければ社会が良くならない。まずはルールを破ってでも現状を変えてみせる」という信念を持った人だけです。

自分のつけたい「読み方」があり、とそれにあった「漢字」の画数が良くないからといって、当て字にするのは、良い名付けとは言えません。

また、現在の名付けの問題点は、無意識にルールを破っているという人がいるのではないか?という点です。

「名付けサイトや本で紹介してある」とか「名前ランキングの上位にいる」といった理由で、それをただしいと思い込み、実際に名付けてしまう。といったことが起こっているように思います。

「知らなかった」といってもルールを破ることはよくありません。むしろ、ルールを知ってあえて破るよりも、迷惑な場合もあります。

一般常識としてのルールを知り、自分自身のルールで名付けを行うようにしましょう。