赤ちゃんの名付け

意外と知らない?人の名前の歴史をざっくり解説

名前の歴史を調べてみると、人間にとって「名前」というものがとても大切なものをだという事がわかります。

1.名前は紀元前から存在している

集団を示すような「姓」については古代ギリシアや周といった紀元前の時代から使用されていたという記録が残っているそうです。また、名前そのものについては、文字が生まれるより前から存在していたという見方もあり、人間と名前の関わりはとても深いもので有ると言えます。

物にそれぞれ名前があるのと同じく、人にも区別するための名前があったと考えるのが自然です。しかも、人にはそれぞれが異なった「意識」をもっているために、種類としての名前ではなく、個々人を識別するための「ID」が必要になります。

個人を識別するためのツールとして便利であるために、おそらくどの文明でも共通して名前が生まれ、使われ続けているのだと思います。

形はそれぞれの文化によって異なりますが、記号としてのIDとは違い、人間にとって覚えやすい、多少意味のある言葉である必要があります。

2.「名前」は単なる記号では無い

例えば、「19873789267さん」「66542282736さん」という名前では、識別はできますが人間には覚えられません。名前は多少意味のあるもので、その人と関連づけなければ覚えることができないです。

そうやって、意味のある言葉を名前に使用することの影響なのか、名前を単なる記号ではなく、人間の霊的な部分に結びついていたり、運勢に影響したりといったものであるという考え方を持つようになりました。

本当の名前を口にすることをタブーとしていたり、日本の諱(いみな)、字(あざな)、戒名(かいみょう)といったように、特別なものとして扱う文化があります。

姓名判断についても、この「名前は特別であり意味がある」という思想にもとづいていると考えられます。

昔は実名を知られると操られてしまうというような考えもあったようですが、ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」で千尋が湯婆婆に名前の一部をとられ自由を奪われるというシーンはまさにこういった文化的背景を表現しているのではないでしょうか。

名前に霊的な意味や運勢といった要素を感じる文化は希薄化してきているようにも思いますが、近年のキラキラネームなど、名前に特別な意味を見出している人は多いようにも思います。

また、インターネットが発達した今の時代において、「名前」は個人情報の1つであり、他人に安易にしられることはリスクにもなります。こういった状況は、昔の知られると操られてしまう諱(いみな)と、リスクを伴うという点では同じ状況になっており、面白い一面です。

3.「徳川家康」の本当の名前

日本における名前は、今は「氏名」ですが少し時代を遡ると、状況がかなり違っています。

「徳川家康」は当時の名前で「徳川次郎三郎源朝臣家康」となります。これは「家名:徳川」「通称:次郎三郎」「氏:源」「姓:朝臣」「諱:家康」の5つの要素で構成されていて、これらは、家系、役、一族、地位、本名を表しています。

諱(いみな)は親以外は呼んではいけないということがあったり、姓は上位の人から貰い受けるものであったり、庶民は氏を公式に名乗れなかったりと、古代日本から現在の戸籍の精度ができるまで、人の名前は形を変えながら受け継がれてきました。

昔は官職を名前にしていることもあり、そのなごりとして人名に使われている漢字も多くあるそうです。

4.「名前」はアイデンティティ

現在の日本では、戸籍法で「氏名」という形を定められています。所属を表す「氏」と、個人を表す「名」で、いわゆる「上の名前」と「下の名前」です。

形が定められると同時に、生まれたら直ちに出生届を提出しなければなりませんが、これは人にとって名前がとても重要なものだからです。

名付けは、親の義務・権利・責任であると同時に、生まれてくる赤ちゃんにとっての「権利」でもあります。これは「子供の権利条約」というもので明言されています。

生まれてくる子供が生きる権利を持っているのは当然のことですが、1人の人間として名前を持つ権利もある。という考えであり、それほど人間にとって名前は重要なものと言えます。

名前はこの社会において個人を表すものであり、アイデンティティです。

5.まとめ

  • 「名前」と人は切っても切れない深い関係
  • 今も昔も「名前」は特別なもの
  • 少しずつ形を変えながら今の「氏名」の形になった
  • 「名前」を持つことは人間の権利である

さまざまな観点でみても、人間にとっての「名前」は今も昔もとても重要なものであるということがわかります。

それは、種としての名前ではなく、「個」を表すためのものとして名前が使われていて、「人と違う」「変わらない」という性質から、「名前」そのものがアイデンティティであるという感覚を多くの人が持っているからだと言えます。